自分探し
ほとんどの人間は意識が芽生え始めたあとに変わることはない。
そして「自分探し」とは基本的に「デキル」自分に気付くことではなく、「デキナイ」自分に気付くことだと思う。
幼少時から高校ぐらいまで自分がどんな人間だったか思い出してみろ。
「デキル」ことは既に高校までにはデキテタはずで、これから発展途上国に旅に出ようが新しい「デキル」に気付くことはない。
「デキナイ」が「デキル」に変わることはないし、もし変わったとしたら今まで「デキテタ」ものが「デキナク」なっているだろう。才能とは長所であり短所だということだ。
自分のことがなんにもわからない奴はストレングス・ファインダーでもやってみろ。(才能(じぶん)の発見 - StrengthsFinder(ストレングス・ファインダー) - アダムス的パグズライフ)
自分がどういう指向性を持った奴か少しはわかるだろう。(知り合いで上位5つの才能がわかった人は俺に報告しろ)
自分がどこまで他人の意見に毒された人生を歩んでいるのか気付き直せ。小さい頃の自分はどんなだったのか。
基本的なことを言うが、「やりたい」ことなんていうのは幻想だ。
それは「やってみたい」「実験してみたい」というだけで、別に「やり続けたい」訳じゃない。やってみてすぐそれに気付く。
「デキル=やめられないこと」、「デキナイ=その他全て」であり、ここを勘違いするな。
だから今まで生きてきて「やめられなかった」ことを伸ばす方向でしか、うまく生きる方法はない。やめられないことにコンプレックスではなく誇りをもって生きろ。
できないことをできるようになる幻想を捨てて、やめられないことを生業としていくしかない。
それが一般常識から外れる行動だったとしても、結果的には人生を主体的に生きていくたったひとつの冴えたやりかただ。
しかし敷かれたレールを歩むことしかできない人間もいる。そいつが勘違いしてしまうと悲惨なことにになる。
見極めは非常に難しいと思う。
俺ももう祈るしか無い。