無難と一癖の選択
俺はいつも選択を迫られたとき、一癖も二癖もあるようなものだったり、全く知らない分野だったりを選択してしまう性格だと思う。言うまでもない。
例えばキーホルダー。
キーホルダーを選ぶときに、無難な可愛い系じゃなくてちょっとキモイのとかを買ってしまう。もしくは狂気なものだったりして、それに対して深い感銘(^db^)とか共感を勝手に感じてしまう。
さも自分を表現したかのような気になる。
その1つ1つの選択に「個」を投影しようとするのだ。
だから、無難や類型化を嫌ってしまう俺は、ときに自棄な選択をしてしまうのだろう。
それによって俺は何度も失敗しながらもアイデンティティを獲得してきたんじゃないかとは思っている。
(今までアイデンティティという語句を何度も聞いたし、自分でも使ってきたんだけど、未だによく意味を把握できない。自由に使いこなせない。多分アイデンティティに関する書物を読んでないからだと思う。)
いわゆる無難だとか最大公約数的な選択を行い続けて、果たして個を保つことができるのだろうか。俺は他の人と一緒なのは御免だ。
また、重要な選択をするときは、「決断」しなければならないだろう。
決断とは、哲学の先生と人生の話をしようのp12の言葉を借りると
意図せずに行われていた逡巡と熟考の末に、「ああ、これがなすべきことだった」という仕方で、既に決心ができている自分に気付くのです。フィンガレットは、決断とは受動的なものだとも言っています。
というように決断は「おりゃっ!」という形でやるもんじゃないらしい。
重要な判断をするときは、悩んで悩んで、自分の中に決断が出来上がるのを待つべきだろう。
くれぐれも自分に嘘はつかないほうがいい。
よく言う「やらないよりやって後悔したほうがいい」と同じ論理だ。
後悔しすぎてやらないほうが良かったとなってしまっても知らないけど、少なくとも20代には、挑戦して失敗する時間ぐらいあるとは思う。