アダムス的パグズライフ

udomoriがアダムス的日常をパグズライフする。

第1回、「ブログ書いて良かった」感想会

 前回の記事「猛烈な不安に襲われるので、自分探し、そしてあけおめ」が大反響であった。「主に私の中で」。

 人間は基本的に、ものを「考えない」性質を持っている。それは人間が「習慣」を作る動物だということを踏まえれば理解できる。以下に、秀逸な説明を暇と退屈の倫理学(p.326)から引用する。

 ジル・ドゥルーズ [1925-1995] という哲学者は考えることについて次のように言っている。哲学者たちはこれまで、人間はものを考えることを好むと述べてきた。しかしそれはまったくの間違いである。人間はめったにものを考えたりなどしない。

 ならば人間がどういうときにものを考えるというのか? ドゥルーズはこう答える。人間がものを考えるのは、仕方なく、強制されてのことである。「考えよう!」という気持ちが高まってものを考えるのではなくて、むしろ何かショックを受けて考える。

 ショックとは、習慣の変更を迫られるときのことである。

 私も、人間は考えることが好きな動物だと捉えていたのだが、どうやら違うようだ。私達は強制されてこそ、考える行為に及ぶ。確かにそうだと思う。

 私にとって「ショック」は既に「就職しない生き方の現状」のそのものである。考えなければならなかった。

 しかしこの「ショック」について考えはするが、どこまで考えを巡らし、その結論について記憶するか、は自身の意思次第だと思う。人は考えないし、「忘れる」動物なので、記憶・記録しておくことは欠かせない作業だ。

 そこでブログが役に立つ。「ショック」は「思考を誘発」するが、最後まで面倒をみない。思考は、自分の意思で継続しなければ途絶えてしまう。それを防ぐために、書くという行為を通して「ショック」を継続させ、考えざる得ない状況を作る。それは同時に記録される。

 おそらく村上春樹もそう言いたかったのではないだろうか。走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫) p.180

僕は書きながらものを考える。考えたことを文章にするのではなく、文章を作りながらものを考える。書くという作業を通して思考を形成していく。書き直すことによって、思索を深めていく

 この名文には感謝している。これがなかったらブログを始めてすらいない未来もありえた。いや、ブログどころか書く行為全般に対する認識が変わった。(でも村上春樹の小説は全然面白くない。)

 前回の記事を書いたことで、私の頭の中はとてもクリアになった。

 こうして私はブログを通じて、自分への理解を深め、思索を深め、記録し、成長していくモデルを作り上げることができた。おそらく。

 弊害としては、おそろしく時間がかかることだ。